今年のクリスマスは野島崎灯台で車中泊している

久しぶりにこの日記のことを思い出した。

社会人になる直前にコロナが流行りだした。

大学の卒業式も会社の入社式もなくて、ヌルっと社会人生活がスタートした。

 

大学4年のときに付き合っていた彼女と別れてからというもの、Tinderで知り合った女の子と何人か体を重ねた。

 

社会人になってもそれは続いていて、退屈な在宅研修をしながら毎日Tinderでスワイプしていた。突然降って湧いたコロナの波は世の中から娯楽を奪っていたから、暇を持て余している人は多かった。

国分寺にいたときも、大宮にいたときもヌルっと社会人をこなして女の子と遊んで一晩の快楽に身をまかせていた。

 

群馬に行ってからは全然だめだった。群馬にいる間は上司に詰められていたし女の子とも遊べなかった。

 

栃木に行ってすぐ、彼女ができた。

Tinderが不調だったために新しく入れたタップルで、その日のうちに飲みに行く予定を立て、付き合うことになった。

 

群馬にいる間日照りが続いていたから、誰でもよかったんだと思う。付き合ってる人としかしないって純なことを言うもんだから、じゃあ付き合おうかって言って、付き合って、ホテルに行った。

 

1回きりっていうのも嫌だったから、栃木にいる間の繋ぎにちょうどいいやと思ってた。

でも一緒にいるうちにちゃんと好きになって、ちゃんと付き合ってたと思う。

 

がんばりきれないぬるま湯の俺のことを好きになってくれたぬるい子だった。

同棲もしたし、結婚の約束までしたけど、結局お別れした。

ちゃんと好きだったし、幸せにするつもりだったけど、約束を破られたし別れたそうだったから、別れようと言った。

 

2年付き合ってる間に向こうから2回振られてその度復縁した。

最後は上俺からだった。

 

好きだったはずだけど、飽きていたところはあった。

付き合ってる時も風俗に行って風俗嬢に中出ししてた。

Tinderもしてた。

何人かご飯に行ったりドライブしたりした。

彼女と一緒に買ったベッドの上で近所の大学院生の女の子と寝た。

 

別れる直前も、Tinderの女の子とセックスしてた。

 

彼女は何も知らなかったと思う。何も知らないから友達になりたいとか言えたんだと思う。

知らぬが仏とはこのことだね。

 

ぬるい俺のことを無条件に好きと言ってくれてダラダラとセックスしてくれる女の子に寄って行ってしまうダメな男なんだよ俺は。

 

君が俺のことを好きと言ってセックスしてるうちはTinderはしてなかった。

結局俺は瞬間的な快楽に飲まれてしまう。

 

ヌルっと社会人になってから、がんばらなくても生きていけることがわかってしまった。

 

俺はこれからも努力できないまま生きていくんだろうか。

 

最近仲良くしている近所の女の子もぬるい女の子だ。ガサツで、酒飲みで、セックスが好きで。

がんばれない俺と一緒にいてくれるから心地良い。

 

がんばれない俺のことをどうやら俺は好きらしい。

だからがんばれない俺と一緒にいてくれる女の子のことが好きなんだろう。

 

 

言語化しきれなくなってきた。

帰り道でもう少し頭の中を整理してるみよう。

 

2023年こそは頑張れる年になるといいなぁ。

ゆるい幸せだった4年間

気付いたらあっという間の4年間だった。
年をおうごとに時間が経つ感覚は短くなるというけれど、にしてもあっという間だった。
学祭の実行委員をやって、それなりにがんばって、いい友達や後輩に恵まれて。
勉強も、人並みに単位を落としながらもちゃんと4年間で卒業して。
高校の友達とも定期的に会って、「高校生の頃はね」なんて昔話に花をさかせて。
一人暮らしだけど、帰省はすぐにできるような距離だったから、親族とも良好円満な関係で。

サークルの女の子とセフレみたいな関係になったこともあったし、学科の女の子ともワンナイトしたりもして、性の方もまあ人並みには充実してたんじゃないかな。
大学生活の終わり際に彼女もできて、付き合ってた期間こそ短いけれど、幸せな時間を過ごせた。

そう、幸せな4年間だった。ゆるい幸せ。
アジカンソラニンという曲を思い出す。
「例えばゆるい幸せがだらっと続いたとする。きっと悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ」
ゆるい幸せだった。誰も俺に厳しくしない。
ぬるま湯のようなだらっと延々と続く幸せ。
このゆるい幸せが得られなくて苦労してる人がいるのは知ってるつもりだ。
でも、ゆるい幸せっていうのは所詮ゆるい幸せで、最高の幸福じゃない。

この4年間はゆるい幸せだった。
高校を卒業してからというもの、過去に依存して生きてきた。高校の頃は毎日を全力で生きていたと思う。ずいぶん努力したと思うし、自信を得られるような毎日だった。

この4年間はどうだ。全力で生きたかと言われたらNOと言うしかないだろう。高校生の頃の自分が見たら幻滅するだろう。
自堕落で瞬間的な快楽のために生きて、バイトして、遊んで、酒を飲んで。
その日その日を楽しく生きたのは、後で「あの頃は楽しかったね。バカだったね。」って懐かしむためで、決して未来のためになんて生きてなかった。後で振り返るために生きていたという意味では未来のためと言えるかもしれないけど、でも、その日その日を全力で生きてなんていなかった。

「他人は自分じゃない」なんて綺麗ごと言って、誰に嫌われても俺は俺の道を生きるんだ、なんてふざけた考えで。
無神経のうちにどれだけの人を傷つけてしまったのかもわからない。
他人は自分じゃないけれど、それでも他人を理解しようとする努力は怠ったらいけなかった。してるつもりだった。足りなかった。

そのせいで大切にしたかった人を失った。ツケがまわってきたんだ、なんて諦められない。失いたくなった。別れたくなかった。一生一緒にいたかった。

本当に、ゆるい幸せがだらっと続いた4年間だった。
大したメリハリもなく、かりそめの努力、虚構の上の幸せ。

何にも本気になれなかった。本気になってたつもりなだけだ。この4年間は自分勝手に自堕落に生きただけだ。

自分の過去を否定するのは好きじゃないけれど、でもこの4年間が俺の人生の中でも褒めようのない4年間だったのはたしかだ。

やりなおしたい。本気になれる何かを見つけたい。
後悔ばかり残る。後悔は先に立たない。いつだって後悔は後からやってくる。

ゆるい幸せがだらっと続いた。そして、悪い種が芽を出した。
もうさよならだ。過去に依存して生きるのをやめよう。ぬるま湯に浸かった人生なんてつまらない。
幸せになんてなれなくても構わないけれど、死ぬときにいい人生だったと言いたい。全力で生きたと。

この4年間はある意味では学びの4年間だ。思春期を終えて、1人の時間がたくさんあって、いろんなことを考えた。
自分の人生哲学のようなものもできたし、人との関わり方も覚えたつもりだ。
たくさんのことを学んだ。
この4年間は褒められる4年間じゃないかもしれないけれど、でも俺の人生には必要な4年間だった。

自堕落で、大したことない4年間だったけれど、無駄なんかじゃない。
次につなげるんだ。
俺の人生はまだまだ続いていく。
だらっと続くゆるい幸せじゃなくて、一瞬でもいい、輝いている人生のために。
完全に立ち直るにはもう少し時間が必要だろうけれど、いつかきっとこの時を思い出して、誇れるように。

もうちょっとだけ、がんばって生きてみようよ。

寝れない夜の心境

長期休みはあまり好きじゃない。
予定がスカスカになるから。
ほんとは毎日毎日バタバタしてるのが好きだ。
分刻みとまではいかなくても、1日に3つも4つも予定をこなしてる時が好きだ。

長期休みが嫌いだ。
無意味な時間が長いから。
時間を経過させるためにゲームして、ドラマや映画を見て、酒を飲んで。
行動のどれもが目的を持たず、ただ時間を経過させるための手段になる。

一人が嫌いだ。
一人でいると余計なことばかり考えてしまうから。
幸せだった頃を思い出して、二度と手に入らない幸せを思って虚しくなる。
いつだって過去に生きてる。
思い出にすがって、依存して、今を生きれない。

渋谷という街が大好きで、大嫌いだ。
あの街は思い出深いから。
大切な人に出会って、失った場所。
清も濁も全て飲み込んで頭を空っぽにできる街。
都会の象徴。若者のナワバリ。
あの街にはもう行きたくないけれど、あの街に行けばまたまっさらになれるような気もする。

今の俺に必要なのは時間で、人との関わりだ。
一人で無意味な時間を過ごしたくない。
誰かと一緒にいたい。
一人にしないでくれ。
誰か俺を助けてくれ。

久しぶりにかくぞ

さて、今回は10年後の自分に宛てた手紙でも書こうかなと思い久しぶりにログインするなどしてみました。

先日彼女にフラレて大傷心中なのでいい機会かなと思って。
10年後というと、32歳ですね。
今何をしてますか。
会社辞めてませんか。
たぶん辞めてないでしょうね。辞めるような度胸ないもんね。
結婚はしましたか。誰としましたか。その人とはいつ出会えましたか。どうやって出会いましたか。

この大学4年の秋から冬にかけてした恋と比べてどうですか。比べるようなものじゃないかもしれないけど、あのときのような幸福感はありますか。
10年後の僕、君が今幸せでいてくれるなら何も言うことはありません。
幸せでいてください。
10年前からの僕からの手紙です。

マキシマム ザ ホルモンの話(その3)

~前回までのあらすじ~

ラーメン二郎発作食いたくなってきた

~おわり~


年があけ、僕は大学4年になりました。
大学がかなり暇になり、時間も余裕ができたので今年はフェスとかライブたくさんいけるなぁ、でもホルモンいないなぁなどと考えていた矢先のことです。


ホルモンが活動を再開しました。

喜びにうち震えました。

この時期に活動再開ということは夏フェスにたくさんでるんだろうと。しかもツアーもやると。

これは見るしかないと今回のツアー5公演全てに応募しました。大阪名古屋遠征も覚悟の上です。


そして、当落発表の日。サイトではライブの日付が遅い順に表示されてました。

「チケットをご用意することができませんでした」
「チケットをご用意することができませんでした」

あー、やっぱりホルモンのライブは倍率高いなぁ今回のツアーは無理かなぁ……

「チケットをご用意することができませんでした」
「チケットをご用意することができませんでした」

と4つ目まで見て、この4つが外れたのならまさか八王子があたるわけないだろうと思っていたら。

「チケットをご用意いたしました」

夢かと。嘘なんじゃないかと。何かの手違いなのではと。

いや、どうもホントらしい。

ホルモンの聖地、八王子でのライブが当たったのです。

チケットを当てるのには信仰心が必要なのだと気づいたのはこの時でした。

そして今日、そのライブに参加してきました。

今まで見たどんなライブよりも近い距離で。熱い熱量で。

恋の街八王子で見たマキシマム ザ ホルモンはいつもより一層輝いて見えました。

月の爆撃機から鬱くしき~が演奏されたとき、僕は泣いていました。

ホルモンを好きで良かったと、ずっと追いかけてきて良かったと心から思いました。

どれだけ有名になってファンの数が増えても絶対にドームやアリーナではやらず、ツアーは対バンで必ずライブハウスのみ。

音楽の方向性は変わるどころかどんどんと洗練されていきます。白帯バンドの精神で、ロッキンポ殺しの精神で。

予襲復襲の歌詞の「白帯のまま~」のくだりはいつきいても泣きそうになります。

驕ることなく、自分たちの音楽をひたすらやり続けるカッコよさ。

僕もキラキラした青春を送ったわけではありません。だからこそ、青春最下位を祝ってくれるホルモンが、一生懸命でなくても0.5生懸命でもいいと歌ってくれるホルモンが響くのかもしれません。

僕のホルモンへの愛情は今後も一生途切れることはないでしょう。たとえ解散してしまったとしても。



今回はそんな、マキシマム ザ ホルモンと僕についての話でした。

ではまた。

マキシマム ザ ホルモンの話(その2)

~前回のあらすじ~

ホルモンを飲み込むタイミングわからない。

~前回のあらすじ終わり~


さて、前回の記事で活動休止してしまったマキシマム ザ ホルモン。活動が再開しないまま僕は大学生になりました。

活動休止とは言ってもライブ活動をしていなかっただけで、この間に「Deka vs Deka」というライブDVDが出ました。厳密にはこれをDVDと呼んでいいのかわかりませんがとにかく出ました。出ちゃったんだからしょうがないだろ。
買いました。

内容としては、僕が行きそびれた予襲復襲ツアーのものです。何周も何周もしていつかホルモンのライブに行ってやろうと気持ちをあげまくりました。


そんなこんなで大学2年になり、ホルモンが活動を再開しました。先のライブDVDについていた「耳噛じる~真打~」のツアーが始まるとのことで、僕はそれに応募しました。

見事豊洲pitで行われる公演に当選し、ようやくホルモンの姿を拝めることになりました。

もみくちゃにされ、脱水症状になりかけ、それでも頭を振って、それまで溜めていたものを吐き出すようにライブを楽しみました。

この年はたくさんホルモンのライブを見ました。ロッキン、ラブシャ、愛媛で行われた岡崎体育との対バンもこの年でした。


そして3年の時はジャパンジャムで見ました。ロッキンは連れの都合でホルモンのいる日に行けませんでしたが、どこかで見るチャンスはあるだろうと考えてました。

が、なんとダイスケはんが首のヘルニアで再び活動休止。どうして意地でもロッキンで見なかったのかとこれまた後悔しました。

その年の11月、ニューシングルとなる「これからの麺カタコッテリの話をしよう」が発売されました。
僕は渋谷のタワレコまでいきフラゲしました。

これもまた、たくさん聞き込みました。いつか活動再開することを願って、拝啓VAP、拝啓ホルモンと。


~その3へ続く~

マキシマム ザ ホルモンの話(その1)

どうも。

今日(2019年6月1日)はですね。マキシマム ザ ホルモン(ザの両脇は半角開けよ!)の「これからの麺カタコッテリのTOURをしよう」の開幕、八王子Match Voxでのライブを見てきました。
ライブレポというほどのものではないけれど、今回は僕とマキシマム ザ ホルモンについての話。


マキシマム ザ ホルモン(以下ホルモン)と僕との関係は7年前に遡ります。あれは中学3年生の時、(たしか)3組の山田くん(仮名)がホルモンを教えてくれました。山田くんはレッチリが好きでベースを弾いており、これがまためちゃめちゃ上手いのなんのって。風の噂で今でもベースをやってると聞きます。
がんばってくれ。

最初のホルモンとの出会いは「絶望ビリー」でした。当時はPVがYouTubeにあったんですよ。これを見た最初の感想は「うわぁ……」です。

それまで僕はMステでやってるようなジャニーズだとかドラマの主題歌だとかぐらいしか聞かず、音楽にそんなに興味がありませんでした。

そんな純粋な中学生がホルモンを見たらみんな顔がひきつりますよ。断言します。

その後、「爪爪爪」のPVがこれまたYouTubeにあったので見ました。また引きました。
それでも山田くんはホルモンを勧めてきます。
アルバムも貸してくれました。「糞盤」と「耳噛じる」と「ロッキンポ殺し」を借りました。
せっかく借りたので、とiPodに入れました。

後日、近所のCDレンタル屋に「ぶっ生き返す」のCDをレンタルしにいく姿が。


そうです。見事にハマりました。スルメが噛めば噛むほど味がでるように、ホルモンがたくさん噛まないと飲み込めないように、聞き込む内に僕はマキシマム ザ ホルモンの虜になっていました。

それから7年、他にもいろんなバンドを好きになったりしましたがいつも根っこにはマキシマム ザ ホルモンがいました。

高2くらいの時に、はじめてホルモンのライブに応募しました。予襲復襲ツアーだったと思います。
なんとこの時僕は幸運にもこのライブに当選しました。
当選したのに気づいたのはチケット代の支払い期限を1週間ほど過ぎた時でした。
当選メールが迷惑メールフォルダに入ってて気付かなかったんです。

なんというやらかしをしてしまったものかと意気消沈しているとそこに入ってきた活動休止の知らせ。
泣きましたね。しかも理由がナヲ姉の妊活によるものだったので果たして活動再開まで何年かかるかの目処もたっていません。

あのときメールに気づいていれば、と何度後悔したことかわかりません。

これのおかげで僕がはじめてマキシマム ザ ホルモンを生で目撃するのは数年後となるのでした。



長くなるのでいくつかに分けるぞ!!!