ゆるい幸せだった4年間

気付いたらあっという間の4年間だった。
年をおうごとに時間が経つ感覚は短くなるというけれど、にしてもあっという間だった。
学祭の実行委員をやって、それなりにがんばって、いい友達や後輩に恵まれて。
勉強も、人並みに単位を落としながらもちゃんと4年間で卒業して。
高校の友達とも定期的に会って、「高校生の頃はね」なんて昔話に花をさかせて。
一人暮らしだけど、帰省はすぐにできるような距離だったから、親族とも良好円満な関係で。

サークルの女の子とセフレみたいな関係になったこともあったし、学科の女の子ともワンナイトしたりもして、性の方もまあ人並みには充実してたんじゃないかな。
大学生活の終わり際に彼女もできて、付き合ってた期間こそ短いけれど、幸せな時間を過ごせた。

そう、幸せな4年間だった。ゆるい幸せ。
アジカンソラニンという曲を思い出す。
「例えばゆるい幸せがだらっと続いたとする。きっと悪い種が芽を出して、もうさよならなんだ」
ゆるい幸せだった。誰も俺に厳しくしない。
ぬるま湯のようなだらっと延々と続く幸せ。
このゆるい幸せが得られなくて苦労してる人がいるのは知ってるつもりだ。
でも、ゆるい幸せっていうのは所詮ゆるい幸せで、最高の幸福じゃない。

この4年間はゆるい幸せだった。
高校を卒業してからというもの、過去に依存して生きてきた。高校の頃は毎日を全力で生きていたと思う。ずいぶん努力したと思うし、自信を得られるような毎日だった。

この4年間はどうだ。全力で生きたかと言われたらNOと言うしかないだろう。高校生の頃の自分が見たら幻滅するだろう。
自堕落で瞬間的な快楽のために生きて、バイトして、遊んで、酒を飲んで。
その日その日を楽しく生きたのは、後で「あの頃は楽しかったね。バカだったね。」って懐かしむためで、決して未来のためになんて生きてなかった。後で振り返るために生きていたという意味では未来のためと言えるかもしれないけど、でも、その日その日を全力で生きてなんていなかった。

「他人は自分じゃない」なんて綺麗ごと言って、誰に嫌われても俺は俺の道を生きるんだ、なんてふざけた考えで。
無神経のうちにどれだけの人を傷つけてしまったのかもわからない。
他人は自分じゃないけれど、それでも他人を理解しようとする努力は怠ったらいけなかった。してるつもりだった。足りなかった。

そのせいで大切にしたかった人を失った。ツケがまわってきたんだ、なんて諦められない。失いたくなった。別れたくなかった。一生一緒にいたかった。

本当に、ゆるい幸せがだらっと続いた4年間だった。
大したメリハリもなく、かりそめの努力、虚構の上の幸せ。

何にも本気になれなかった。本気になってたつもりなだけだ。この4年間は自分勝手に自堕落に生きただけだ。

自分の過去を否定するのは好きじゃないけれど、でもこの4年間が俺の人生の中でも褒めようのない4年間だったのはたしかだ。

やりなおしたい。本気になれる何かを見つけたい。
後悔ばかり残る。後悔は先に立たない。いつだって後悔は後からやってくる。

ゆるい幸せがだらっと続いた。そして、悪い種が芽を出した。
もうさよならだ。過去に依存して生きるのをやめよう。ぬるま湯に浸かった人生なんてつまらない。
幸せになんてなれなくても構わないけれど、死ぬときにいい人生だったと言いたい。全力で生きたと。

この4年間はある意味では学びの4年間だ。思春期を終えて、1人の時間がたくさんあって、いろんなことを考えた。
自分の人生哲学のようなものもできたし、人との関わり方も覚えたつもりだ。
たくさんのことを学んだ。
この4年間は褒められる4年間じゃないかもしれないけれど、でも俺の人生には必要な4年間だった。

自堕落で、大したことない4年間だったけれど、無駄なんかじゃない。
次につなげるんだ。
俺の人生はまだまだ続いていく。
だらっと続くゆるい幸せじゃなくて、一瞬でもいい、輝いている人生のために。
完全に立ち直るにはもう少し時間が必要だろうけれど、いつかきっとこの時を思い出して、誇れるように。

もうちょっとだけ、がんばって生きてみようよ。